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#04「わからない」からのスタート

共通教育部 教授
三木 慰子
研究分野:人文 / 日本文学 /(近世俳諧)

共通教育部の三木教授は、長く松尾芭蕉の研究を続け、辞典や選集など数々の書籍にその実績を残しています。教育においては、学生たちに古典や俳句の世界をより身近に感じてもらうために試行錯誤を重ね、現在では “写メ俳句” といった独自の手法を取り入れた授業等、多彩な取り組みを展開しています。

  

大学:楽しさの発見

「私、わからないから、教えてください」これは私の大学時代、ある教授に質問に行った際、返された言葉です。「わからない?!ええっ」と驚き、翌週、図書館で調べた結果を伝えると「ありがとう」といわれました。また、ある教授は私のために何度も研究室で遅くまで質問に答えてくださいました。そして、ある教授は質問に丁寧に答え、最後に必ず私の意見を求め、「あなたの説は素晴らしい、日本一です」と褒めてくださいました。
大学に入り、まず、自分で考えること、そして、調べ、伝えることの楽しさを知りました。そして、さまざまな研究者に出会うことができました。
『泊舩集』(最初に出版された芭蕉句集)の影印本

  

研究:発見の喜び

ところで、私は学部時代、松尾芭蕉の推敲された句文に秘められた創作意識を考えることが面白いと感じていました。当時、『野ざらし紀行』(芭蕉の第 1 の紀行文)のゼミ発表にあたり、その諸本と『芭蕉文集』の調査のため図書館巡りをし、その折、山崎文庫(旧大阪女子大学図書館)所蔵の『芭蕉文集』に特異性を見出し、卒業研究論文「風徳本『甲子吟行』の研究」にまとめました。

大学院(修士課程)でも調査を続け、初めて俳文学会で研究発表する機会を与えられ、修士論文「風徳編『芭蕉文集』の研究」に繋げました。その後、修論は『風徳編「芭蕉文集」の研究』(和泉書院)として出版されました。それから 3 年後に出版された『俳文学大辞典』に「『芭蕉文集』」と「風徳」の 2 項目が加えられ、その執筆を担当できたことは研究者として最高の喜びでした。
修士論文の出版化(初めての著書)

  

研究から教育へ:本物に触れる

結婚後、大学院(博士課程)に進み、研究生活を続け、高校や短大で非常勤講師をし、平成 5 年より本学の専任講師になりました。そこで、本物に触れる教育をするという創立者の思いに間近に接し、芭蕉の自筆などをテキストとして学生に学ばせたいという願いから『影印「甲子吟行」付古注翻刻集』(明治書院)・『泊船集』(和泉書院)・『奥細道菅菰抄』(同朋舎)などを影印本(写真に撮り印刷した本)として出版しました。国文科の学生とともに学んだことが懐かしいです。
創立者との唯一のツーショット

  

教育から研究へ:新たな分野への挑戦

そして、7 年後に国文科から幼児教育科に異動となった私は、古典離れした学生にいかにすれば俳句に親しんでもらえるのかを考え、俳句から絵を描かせたり、カルタや童話を作らせたり、写真と俳句をコラボレーションさせたりと様々なチャレンジをしました。その結果は『俳句童話集-英語訳付きー』(文芸社)・『写メ俳句 心トレ、その実践と考察』(文芸社)・『新版 蛙の冒険-芭蕉から幼児教育にジャンプするー』(文芸社)などの出版物を生み出しました。
俳句カルタ

  

研究:心ときめく時

その後、『錦江「奥細道通解」の研究』の出版を経て、再び『野ざらし紀行』研究に戻るべく、10 年間の調査の後にまとめあげた『「野ざらし紀行」古註釈集成』」(和泉書院)をもとにして、芭蕉の創作意識に対峙していく準備をしています。
その間、2 つの心ときめくことがありました。1 つは『野ざらし紀行』の新たな写本(名称寺所蔵)が見つかり、「『野ざらし紀行』新たな写本研究―名称寺蔵『芭蕉行脚乞食袋』―」として、口頭発表や論文発表(本学紀要・『講演集』)を行いました。
2 つ目は令和 4 年秋、40 年間行き方知れずの芭蕉自筆の挿絵入り『野ざらし紀行』が発見されました。すごいことです。胸の高鳴りを隠し切れずに京都の展示場で再会しました。私も準備ばかりしている場合ではありません。

教育:ともに楽しむ時

さて、私は自らの体験を踏まえ、学生に「学び」の楽しさを知ってもらうために、たくさんのことを授業で提案しています。基本姿勢は「まずは色々なことを自分の目で見て、感じる。そして、何か疑問に思えば、調べる。次にその過程を文章や言葉に表現してみる」ということです。

名前のメモを回しています

例えば「日本語 Ⅰ」では “名前” をテーマにした授業から始めます。自分の名前を改めて見て、感じたことを書きます。また、クラスの人の書いた名前(漢字・平仮名・カタカナ)から、筆跡から、音の響きから感じたことなどを書きます。それぞれ、感じ方はよく似ていたり、違っていたりします。手元に戻ってきたメモを集計し、自分の名前を振り返り、見えてくるものがあります。両親からの最初のプレゼントの大きさが実感できる瞬間です。

このように自分の心の中から感じたことを引き出す過程は俳句作りに通じます。そこで、平成 19 年から “写メ俳句” というものを学生と一緒に学んでいます。現在、「伝統文化に学ぶ」の授業の中で ”写メ俳句“ 作りをやっています。携帯電話に保存されている自分で撮った何千もの写真の中から 1 枚を選択し、17 文字を作り出します。選んだ写真と俳句を鑑賞すると、そこには作者の個性が垣間見られます。実に面白いです。写メ俳句作りにより、確実に俳句の世界が学生の身近なものになっていきます。芭蕉は推敲に推敲を重ねて作品を作り上げましたが、学生が感じたままを表現した作品、そこにも輝くものが潜んでいる気がしてなりません。今、私は学生の作品をまとめるときだと思い、準備を進めています。

授業風景

夫との共著である闘病記

なお、私は本学に勤務し始めたころより、家族の介護をし続けています。その過程は『梅の木のもとで 病と歩んだ 20 年の教師生活』(文芸社)にまとめましたが、令和 5 年度から 35 年間の介護生活を 20 分間にまとめた動画を看護学科の学生向け教材として活用するつもりであることを付言しておきます。

学び:連鎖

私は家族に対する心配事を抱えているため、その時にやっておかないとできなくなるかもしれないと思いながら生活しています。その気持ちは歳を重ねるごとに高まります。どうか、学生時代(今)しかできないことを大いにやってください。何をやったらいいのかわからなければ、目の前に与えられたことに真っ直ぐ向き合ってください。間違いなく、すべてがあなたのこれからのエネルギー源になります。そして、一つの「学び」は次の「学び」を生み出します。楽しい「学び」・辛い「学び」…たくさんの「学び」がこれから待ち受けています。各自のペースで自分の人生を模索していきましょう。 

トップの写真は卒業生が描いた芭蕉(『俳句童話集』より)