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主な収蔵資料

大阪青山歴史文学博物館では、国宝「土左日記」写本をはじめ、重要文化財や重要美術品を含む約 4,000 件の文書、典籍、美術工芸品を収蔵しています。

国宝「土左日記」

藤原為家が嘉禎 2(1236)年、蓮華王院にあった紀貫之自筆の『土左日記』を一字も違えずに書写したものです。貫之自筆本が伝わらない現在、その原本の姿を最も忠実に伝える意味で、学術文献資料として至高の価値があります。

重要文化財

当館では、現在、11 件の収蔵品が国の重要文化財に指定されています。

「後醍醐天皇宸翰消息」

後醍醐天皇はいわゆる建武の新政を行い、朝廷の権威の回復をはかりましたが、反対勢力の台頭により挫折。波乱に富む人生を歩み、奈良吉野で崩御しました。本資料はおそらく尊円法親王に賜った御書状と推測され、その筆跡に強烈な異彩を放った天皇の人柄がよく表われています。

「明月記」

藤原定家の日記。正治 2(1200)年の秋、7 月 1 日から 9 月 30 日までの記事を収めています。字体は独特で、定家の書風の特徴がよくわかります。

「是則集」

平安時代の歌人で三十六歌仙の一人、坂上是則(さかのうえのこれのり)の作品集です。本学所蔵本は、鎌倉時代の歌人藤原 定家の監督の下に作成され、表紙の題箋や本文の上部に見られる集付(しゅうづけ)は、定家自身の筆になると考えられています。百人一首にも採られて有名な「あさぼらけ 有明の月と見るまでに 吉野の里に 降れる白雪」を始め、四十三首の和歌が収められられた冊子本です。
約八百年の伝来の間には、酒井忠勝や堀田正休、また加賀の前田家などの大名家に秘蔵され、昭和 16 年には重要美術品の認 定を受けています。

「後伏見院庁諷誦文」(平成 26 年新指定)

「後伏見院庁諷誦文」は、嘉元 3(1305)年 9 月 15 日に崩御した亀山法皇の追善供養に際して、当時新院と呼ばれた後伏見院(在位 1298 ~ 1301 年)の院庁から出された諷誦文(※) で、参詣した僧に布三百端を与えることを記しています。同じ日付の後伏見院願文も残されており(個人蔵)、追善供養の実態を具体的にうかがい知ることができます。亀山法皇は大覚寺統、後伏見院は持明院統の皇統であり、両統迭立状況下における院政の一端を伝える史料とし ても貴重です。

※ 諷誦文 仏事の際に、その趣旨と供物の内容を述べて、僧に声をそろえて読経することを要請するために出した文書。

大阪青山歴史文学博物館
〒666-0113 兵庫県川西市長尾町10-1
TEL 072-790-3535 FAX 072-790-3525