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#03 動物の心・人間の心・機械の心

子ども教育学部 子ども教育学科 教授
高木 典子
研究分野:特別支援教育、発達心理学

心理学を専門とする髙木教授は、動物の心を探求したいという思いから研究をスタートさせ、そこから人間の社会的行動の形成・維持に着目した研究を続けてきました。また、その過程で身につけた観察スキルや行動理解の視点を特別支援教育という実践に活かしてきました。現在は、認知特性の凸凹による困り感を抱く子ども達の支援についても研究を進めています。

研究の専門分野を教えてください。

「あなたの専門は何ですか?」この質問が研究者の末端にいる私にとっては、答えるのが難しい質問のひとつだったりします。当然研究者として何らかの専門性はあるはずで、簡単に答えられる質問のように思われると思います。一般的には心理学という括りに入るかと思います。では心理学の中でも何が専門なのか問われると、今の自分には何が一番よく当てはまるのかと自問してしまうのです。自分の研究の立ち位置という観点からは、行動分析学・学習心理学という回答が妥当でしょうか。

この分野を選ばれたきっかけや、現在の研究に行き着くまでの経緯を教えてください。

そもそも大学入学時は、ヒトではなく、ネコの心について研究したいと思っていました。今でこそペットブームでネコの気持ちや習性についての情報にたくさん触れることができますが、当時はまだこれだけ身近にいる存在なのにその習性についての情報は限定的なものでした。学部生の時は、文系学部の心理学専攻に2年次から所属し、自宅で飼い猫に学習実験に参加してもらいました。卒論ではチンパンジーの記号言語学習を参考にして、ネコが記号と食べ物とを関連づけた反応を取ることができるのかを図形弁別の課題を用いて調べました。副題は、「言葉の獲得をめざして」でした。
大学院から本格的に動物を用いた心理学研究をしている大学にうつり、そこで行動分析学を学びました。心理学で動物を用いて研究を行うというのは少数派に位置し、動物の研究をして、人の心のなにがわかるのか、といった批判を受けることもあります。しかし、動物を対象とした心理学研究では、進化論の考えを背景に、同じ生物としての共通性が人と人以外の生物に存在すると仮定しており、実験対象とした動物種の研究ではなく、生物全般にあてはまる基本的なメカニズムを探求しようとしています。動物の実験によるモデルを通して、現実の人間の行動を理解しようとしているのです。もちろんそこには動物種固有の特徴もあり、例えば高等類人猿として進化系統では非常に近縁である人とチンパンジーでも子育てには「教える子育」てと「見せる子育て」のような違いがあることもわかってきました。
そのような考えのもと、大学院では社会的行動の中でも協力行動に焦点をあてて、その形成・維持のメカニズムについて検討しました。自分が時に損をすることがあっても他者を利する行動を私たち人間が当たり前に取るようになるのはなぜか、これは学習論の考えでは説明ができないのではないかといったことに疑問を抱いたのです。ハトを被験体とした研究では、他個体の反応を手掛かりとしてより良い報酬が得られるような行動を獲得できるかを検討しました。ほかにも、ラットを被験体としたゲーム場面での実験研究などの行動実験を重ねてきました。こういった社会行動についての研究は、当時は社会生物学、今では行動経済学という領域の中で語られることが多くなっているようです。

研究の成果は、現在の教育活動にどのようにいかされていますか?

大学の教員となってからは、残念ながら動物の実験を行うことはなくなってしまいましたが、行動を丁寧に(組織的に)観察するというトレーニングを学生時代に積んだ経験や、私たちの行動が環境要因によって変化しうるという考え、簡単に言えば自分の行動の結果、自分に良いものがもたらされればその行動は増加し、行動の結果、自分に悪いことが起きればその行動は減る、という考えは、子ども達の行動の理解において今も役に立っています。
特に、非常勤講師として十数年携わってきた特別支援学校(当時は養護学校)において、心理アセスメントを行う上で、非常に役に立ってきました。子どものいわゆる「問題行動」について、その子がそういった行動をとるのは、今の環境に適応しようとして学習した結果であること、そうであれば環境(周囲の関わり方を含めて)を変えることで、行動を変えることができるといった考えのもと、心理アセスメントを根拠に、望ましい改善策を現場の先生に提案できたこともありました。
また、特別支援学校において、児童生徒の発達支援に関わる中で、人間の発達過程についても学びを深め、その実務経験をもとに本学では主として子どもの発達に関する科目を担当しています。
今は、認知特性の凸凹による困り感を解消するにはどうしたら良いのか、そもそもそういった認知特性によって個々の子どもが抱えている困り感をどのようにキャッチアップしたらよいのかといったことが関心の主流になっています。大学に入学してくる学生の中にも、本人は気づいていないようだけれども、認知特性の凸凹があり、対人関係や学業に課題を抱えているように感じられる学生や、小・中・高と本人なりの努力でなんとか周囲に合わせてきた一方で、周りの友達が簡単にこなしていることができない自分に自信を失い、動機づけも下がっているような学生に出会う機会がポツポツと出てきました。そういった学生にも自分の強みを自覚し、それを生かした社会生活を送れるようになるようなはたらきかけができるようになるにはどうしたら良いのだろうと日々考えています。こういった今一番関心を向けている領域を自分の専門とするなら特別支援教育や発達心理学が専門ということになるでしょうか。

研究における今後の展望をお聞かせください

AIの研究が飛躍的に進んできた中で、かつては実現が難しいとされていた「強いAI」が世の中に産み落とされる瞬間に立ち会えるかもしれない時期がいよいよ来ています。近い将来に、強いAIを装備したロボットが実現したら、人間はロボットとどのようにコミュニケーションをとるようになるのだろうか、ロボットにも人格を付与するようになるのだろうかということにも関心を持っています。ペットロボットや人の助けを必要とする「弱いロボット」の研究など人工物と人との関わりについての研究も散見されるようになりました。強いAIを装備したロボットは、介護や保育の場における人手不足問題を解決する一助となるかもしれません。一方でロボット(人工物)が子育てに関わることへの是非は人によっても意見が大きく異なるかもしれません。その違いはどういった所にあるのかといったこともこれから検討してみたいと思っています。
私自身は、好奇心のみで気がついたら今ここにいるという感じで、計画的に自分のキャリアを積んできたわけではありません。また、その時々で進めてきた研究もそれだけを見ると相互の関係性は見えづらいかもしれません。でも自分が経験したことは今の自分の活動に何らかの形でつながり役立っていると思っています。一見遠回りに見えても、どこかでその時の経験が活かされる、人生無駄な経験はないと今までの経験を通して思っています。

最後に、これを読んでいる人へのメッセージをお願いします

今は膨大な情報量の渦の中で、社会の変化のスピードも速く、常に時間が足りないといった焦燥感を社会全体が抱いているように感じています。情報ネットワークの拡充で世界中とつながれるようになった一方で、常に世界中の目を気にしないといけない閉塞感も抱いている、そんな時代になっているようにも思います。
教育の考えもどんどんと変わり、大学にも学修の効率性や学修成果の可視化が強く求められるようになりました。長い人生のうちのたった4年間で、目に見える形での変化を遂げることが求められているのです。時間効率を追い求めることが本当に私たちの幸せな生き方につながるのか、一歩立ち止まって考えることも必要ではないかと思います。時には足を止めて、自分について、社会について、森羅万象について、じっくりと考える、そんな時間も大学生活の中で学生の皆さんには持ってほしいと思っています。
また、色々な場面で多様性が求められていますが、学びについても多様性が当たり前の社会になってほしいと思っています。高校を卒業して大学に進学するというのが今は一般的ですが、社会人を経験したからこそ深まる学びもあると思います。社会人の皆さんには、自分が今の仕事で直面している課題や自分の生き方についての悩みを考える場として、あるいは定年後に、自分が若い頃にはなかった新しい学問に挑戦する場として大学を利用するといった活用の仕方も是非してほしい、本学がそういった多様な学びを支える大学になるために自身も微力ながらもう少し関わっていきたいと考えています。